日本画と手仕事と暮らしの覚え書き
- もう言わない。
- (2009/09/01)
- だめだ
- (2009/08/13)
- 体調はまあまあ
- (2009/08/10)
- 日記引っ越しだけどここも継続
- (2009/07/31)
- こんなこと書いてたり
- (2009/07/29)
15年前、大阪で都会の現代病に冒され、八ヶ岳の別荘に逃げました。都心育ちは数年は、自然を眺めるのにただ夢中でした。まだあまり別荘も無く、深い森と静寂が豊かだった頃です。
それが10年前くらいかしら、父が他界し、翌年に愛犬が逝ったら、心に穴が開きました。埋めようとして、自分がからっぽになのに気付きました。からっぽ人間にはもう絵なんか描けない。就業してみたり、東京に出たり、習い事をしたり、いろんな人たちと関わったり、かなりほっつき歩いたけれど、からっぽは埋まるどころか、ますます大きくなった気がしました。
からっぽは、外の物では埋められない。そう気が付いたのは1年くらい前です。50才になってやっとです。馬鹿だなあ。
いくら本を読んだって、いくら習い事をしたって、いくら付き合いを広げたって、それらはただの材料や道具にすぎません。自分の生きている世界の、その意味がわからなければ、自分の穴は埋められないと思うのです。
馬鹿だからそんなの無理かもしれない。無理だろう。無理と思いつつ、道具を手にとって振り回していると、それでも少し穴が塞がったような気がするのですが。
それが10年前くらいかしら、父が他界し、翌年に愛犬が逝ったら、心に穴が開きました。埋めようとして、自分がからっぽになのに気付きました。からっぽ人間にはもう絵なんか描けない。就業してみたり、東京に出たり、習い事をしたり、いろんな人たちと関わったり、かなりほっつき歩いたけれど、からっぽは埋まるどころか、ますます大きくなった気がしました。
からっぽは、外の物では埋められない。そう気が付いたのは1年くらい前です。50才になってやっとです。馬鹿だなあ。
いくら本を読んだって、いくら習い事をしたって、いくら付き合いを広げたって、それらはただの材料や道具にすぎません。自分の生きている世界の、その意味がわからなければ、自分の穴は埋められないと思うのです。
馬鹿だからそんなの無理かもしれない。無理だろう。無理と思いつつ、道具を手にとって振り回していると、それでも少し穴が塞がったような気がするのですが。
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