日本画と手仕事と暮らしの覚え書き
- もう言わない。
- (2009/09/01)
- だめだ
- (2009/08/13)
- 体調はまあまあ
- (2009/08/10)
- 日記引っ越しだけどここも継続
- (2009/07/31)
- こんなこと書いてたり
- (2009/07/29)
庭の水仙がようやくほころび、カタクリやキバナノアマナ、イチゲが咲き、シデコブシも美しい淡紅色に咲きました。今年初めて蝶も見ました。
私ひとりが生きるために、どれほどの人に迷惑をかけ、悲しませ、苦しませるのか。
それを感じていながら、私は日々どれほど正直で勤勉で勇気ある生き方をしているか。
何一つ、できてはいません。手足をすり減らし、這いずってはいるけれど。
さあ、何が、できるのか。私よ。
4月18日、敬愛する吉野裕子先生が逝かれました。私などはただ無能無策故の忙しさに取り紛れていたけれど、今少し落ち着けばやはり涙が溢れてくるのです。
在野の50代からものされた論文の全集は、最後の第12巻がまもなく発刊されるはずでした。ああ、御尊顔を一度でも拝したかった。最後は奈良であられたか。私はつまりはあの方は魂の研究をされていたのだと思っています。資料や遺跡、古文書、伝承などを通じて常に多くの古の御霊と会話しておられました。彼岸に渡られる際は、さぞや多くの御霊がお迎えに参じたことでしょう。そうしておそらく今は、それらの御霊に生涯の疑問をお尋ねになり、得心をされていると思います。
先生、今私はやっと全集の第3巻「陰陽五行思想からみた日本の祭」に辿り着きました。この文字のひとつひとつ一行一行を追うことは、私にとってはただの勉強というだけではなく、このような哀れな者の到らぬ日々の生きる支え、励みです。心から感謝しているのです。
合掌。
私ひとりが生きるために、どれほどの人に迷惑をかけ、悲しませ、苦しませるのか。
それを感じていながら、私は日々どれほど正直で勤勉で勇気ある生き方をしているか。
何一つ、できてはいません。手足をすり減らし、這いずってはいるけれど。
さあ、何が、できるのか。私よ。
4月18日、敬愛する吉野裕子先生が逝かれました。私などはただ無能無策故の忙しさに取り紛れていたけれど、今少し落ち着けばやはり涙が溢れてくるのです。
在野の50代からものされた論文の全集は、最後の第12巻がまもなく発刊されるはずでした。ああ、御尊顔を一度でも拝したかった。最後は奈良であられたか。私はつまりはあの方は魂の研究をされていたのだと思っています。資料や遺跡、古文書、伝承などを通じて常に多くの古の御霊と会話しておられました。彼岸に渡られる際は、さぞや多くの御霊がお迎えに参じたことでしょう。そうしておそらく今は、それらの御霊に生涯の疑問をお尋ねになり、得心をされていると思います。
先生、今私はやっと全集の第3巻「陰陽五行思想からみた日本の祭」に辿り着きました。この文字のひとつひとつ一行一行を追うことは、私にとってはただの勉強というだけではなく、このような哀れな者の到らぬ日々の生きる支え、励みです。心から感謝しているのです。
合掌。
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