日本画と手仕事と暮らしの覚え書き
- もう言わない。
- (2009/09/01)
- だめだ
- (2009/08/13)
- 体調はまあまあ
- (2009/08/10)
- 日記引っ越しだけどここも継続
- (2009/07/31)
- こんなこと書いてたり
- (2009/07/29)
朝から終日雪。気温も零下のままで、すっかり真冬に逆戻りです。
明け方に夢を見ました。嫌な夢ですが、くっきり覚えていられる夢は久しぶりです。内容は、以下。
自分の家、と言っても此処の家ではない新しい和風モダンの建築ですが、その畳敷きの自室で私は休んでいました。時間は昼頃ですが、まだ布団が敷かれ、私は療養中です。窓の外は新興住宅地で、カーブした舗装道路の向こうに空き地が有り、数匹の野犬が居ます。見ると、その中に「虎」が、しかも少々縞模様の崩れた小振りの虎がいるのです。それに非常に不審な男がうろついており、我家の中を伺っているのです。
怖い!
私は慌てて携帯で110番にかけるのですが、電話が物凄い雑音で相手の声がさっぱり聞こえない。そうでなくとも私は電話の類いが苦手で、良く聞き取れません。私は耳が少し遠い上、多くの音の中から目的の音を拾う事が難しいのです。そのことで怒鳴られたり苛つかれると辛いのに、身近な人でもまず理解してくれません。何故か電話は切れてしまい、途方に暮れる私。ふと気配を感じて振り返ると、何と、家の中に見知らぬ男が居て私にニヤニヤ笑いかけている。そして人の家の中を勝手に物色しています。
嫌!
私は助けて!ともう一度携帯から110番したり、駐在所の電話番号を探したりするのですが、なんと何処にかけても電話の向こうはその男で、雑音の中から聞き取れるのは「ヘヘヘ、どこにかけてるの?」きゃああ。見ると家の中には、もう何人もの日本の男やアジア系貧困層の女子供がうようよ入り込んでいて、勝手に居室や物品を占領しつつある。私の布団にも何時の間にか誰か見知らぬ男が寝ています。身動きとれず追い詰められる私。
アンタの居場所は、もう、何処にも無いんだよ。
で、目が覚めて…。
明け方に夢を見ました。嫌な夢ですが、くっきり覚えていられる夢は久しぶりです。内容は、以下。
自分の家、と言っても此処の家ではない新しい和風モダンの建築ですが、その畳敷きの自室で私は休んでいました。時間は昼頃ですが、まだ布団が敷かれ、私は療養中です。窓の外は新興住宅地で、カーブした舗装道路の向こうに空き地が有り、数匹の野犬が居ます。見ると、その中に「虎」が、しかも少々縞模様の崩れた小振りの虎がいるのです。それに非常に不審な男がうろついており、我家の中を伺っているのです。
怖い!
私は慌てて携帯で110番にかけるのですが、電話が物凄い雑音で相手の声がさっぱり聞こえない。そうでなくとも私は電話の類いが苦手で、良く聞き取れません。私は耳が少し遠い上、多くの音の中から目的の音を拾う事が難しいのです。そのことで怒鳴られたり苛つかれると辛いのに、身近な人でもまず理解してくれません。何故か電話は切れてしまい、途方に暮れる私。ふと気配を感じて振り返ると、何と、家の中に見知らぬ男が居て私にニヤニヤ笑いかけている。そして人の家の中を勝手に物色しています。
嫌!
私は助けて!ともう一度携帯から110番したり、駐在所の電話番号を探したりするのですが、なんと何処にかけても電話の向こうはその男で、雑音の中から聞き取れるのは「ヘヘヘ、どこにかけてるの?」きゃああ。見ると家の中には、もう何人もの日本の男やアジア系貧困層の女子供がうようよ入り込んでいて、勝手に居室や物品を占領しつつある。私の布団にも何時の間にか誰か見知らぬ男が寝ています。身動きとれず追い詰められる私。
アンタの居場所は、もう、何処にも無いんだよ。
で、目が覚めて…。
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NIKO犬はよくピイピイと鼻を鳴らします。私が食事をしているときは、人間の食事のお裾分けを貰えない不満であり(もしやっていいものが有ったとしても、人間の食事中はやりません)、その他の時は私の姿が遠くて寂しいのでしょう。でもそういつまでも階下でテレビを見ている訳にはいかないのよ。
ルネサンス期はフランドルの作曲家、ジョスカンデプレの、静かなミサ曲。聞き流しながら私はただ座っています。何もしたくないし、描けないし、書けない。勉強も久々にノートを開いてみたけれど、何も思い出せない。そう「ウサギは宇佐岐だから、蛇とどう関係するのか」とぼんやり思ったところでプッツリ切れている。
特に仕事なんかもう行きたくない。疲れた。いろんなことにうんと疲れた。でも意外と元気なのかもしれない。だって、今夜は寝るまで本を読もうと思うもの。昨日、前から予約していた万城目学氏の最新作「プリンセス・トヨトミ」が届いたのです。万城目氏はこれまで関西を舞台に小説を書いています。大阪は2度住んで2度とも嫌な思いをしましたが、奈良は私の心の原風景であり、11年住んだ京都も思い入れの深い場所です。万城目氏と同じく京大出身の作家である森見登美彦氏の新しい作品も購入しましたが、これの次に読む予定。
今年もまた小さな紀州雛の一対を飾りました。お供えはピンクと黄色の(苺とパインの)キャンディ。
ルネサンス期はフランドルの作曲家、ジョスカンデプレの、静かなミサ曲。聞き流しながら私はただ座っています。何もしたくないし、描けないし、書けない。勉強も久々にノートを開いてみたけれど、何も思い出せない。そう「ウサギは宇佐岐だから、蛇とどう関係するのか」とぼんやり思ったところでプッツリ切れている。
特に仕事なんかもう行きたくない。疲れた。いろんなことにうんと疲れた。でも意外と元気なのかもしれない。だって、今夜は寝るまで本を読もうと思うもの。昨日、前から予約していた万城目学氏の最新作「プリンセス・トヨトミ」が届いたのです。万城目氏はこれまで関西を舞台に小説を書いています。大阪は2度住んで2度とも嫌な思いをしましたが、奈良は私の心の原風景であり、11年住んだ京都も思い入れの深い場所です。万城目氏と同じく京大出身の作家である森見登美彦氏の新しい作品も購入しましたが、これの次に読む予定。
今年もまた小さな紀州雛の一対を飾りました。お供えはピンクと黄色の(苺とパインの)キャンディ。
久々に少し青空と太陽が。見上げると、寒さと恐怖で縮かんでいた心がすうっと伸びます。春は其処まで来ているのだなと。
冬の間中着ていた黒っぽいトップやボトムが、まあ何とも重苦しく野暮臭く見えること。まるで不幸の色みたい。かと言ってまだ雪の中ですし、伊達の薄着ができる年齢ではないので、そう簡単に冬衣裳から抜けだせない。せめてソックスをピンク色にしたり、帽子の色を明るくしたり。ダウンコートが白色で良かった。そこだけでも軽く見えるもの。
そう思って家の中を見渡してみる。昔日、鏡を通して家の中を眺めた事が有ります。まだ20代だったような。すると、反転して見える室内は、ああ慣れとは恐ろしい、それなりにきれいだと思っていたのにちっとも片付いておらず、埃っぽく淀んでいるのです。センスの欠片も無い。驚くと共に、客観的に見る事の大切さを知ったことでした。
さて、今の私の家。ピンクのソックス見たら泣けて来る。自信の揺らぐ人間に、どうやって家を整えられましょう。でも私は自分とも戦うと決めているのです。まず身軽になりたい。使わないものや知人などからの預かりもの、押し付けられたものがかなり有ります。私はどうやら便利屋だったのね。それは私への信頼とは違うのよね。真に大切に思ってくれるのなら、私にこんな不都合や負担を負わす訳が無いんだもの。もう十分預かりました。荷物はそれぞれ相手払いで送り返します。これからは保管や処分を頼まれても聞かないわ。「いやといおう」、それができなければ、私は次に進めない。
冬の間中着ていた黒っぽいトップやボトムが、まあ何とも重苦しく野暮臭く見えること。まるで不幸の色みたい。かと言ってまだ雪の中ですし、伊達の薄着ができる年齢ではないので、そう簡単に冬衣裳から抜けだせない。せめてソックスをピンク色にしたり、帽子の色を明るくしたり。ダウンコートが白色で良かった。そこだけでも軽く見えるもの。
そう思って家の中を見渡してみる。昔日、鏡を通して家の中を眺めた事が有ります。まだ20代だったような。すると、反転して見える室内は、ああ慣れとは恐ろしい、それなりにきれいだと思っていたのにちっとも片付いておらず、埃っぽく淀んでいるのです。センスの欠片も無い。驚くと共に、客観的に見る事の大切さを知ったことでした。
さて、今の私の家。ピンクのソックス見たら泣けて来る。自信の揺らぐ人間に、どうやって家を整えられましょう。でも私は自分とも戦うと決めているのです。まず身軽になりたい。使わないものや知人などからの預かりもの、押し付けられたものがかなり有ります。私はどうやら便利屋だったのね。それは私への信頼とは違うのよね。真に大切に思ってくれるのなら、私にこんな不都合や負担を負わす訳が無いんだもの。もう十分預かりました。荷物はそれぞれ相手払いで送り返します。これからは保管や処分を頼まれても聞かないわ。「いやといおう」、それができなければ、私は次に進めない。
未明から終日降雪。7、8cmばかり積もりました。一面雪の冬景色。でも昼間は零度もあって、ちっとも寒くありませんでした。ちょっと喉が痛い。
今頃ですが(笑)、帯状疱疹の訳を書こうと思います。訳は「嫌」とちゃんと言えなかったことや、自己批判し過ぎたからだそうです。はい、お終い。すっとした。
ともかく、こうして書き出す事は、中身が多少間違っていようが勘違いだろうが、ともかくいい傾向なのだそうです。
残りのあれこれは----以下。まあ誰も読む必要もない、私の漫言方言備忘録です。
---------------------------------------
私は「嫌」です。やっとそう言葉にできるようになりました。ようやく、です。そうです。ずうっと辛かったのです。悲しかったのです。嫌だったのです。不快だったのです。怒っていたのです。できないと言いたかったのです。
職場も私的な一部の人間関係も、暴力の中でした。でしたと言うのは正確ではない。何故なら今も私は、まだ半分近くその中にいるからです。私はそれらの暴力の前で心を閉じて暮らしています。ポーカーフェイスで口を合わせます。まだそれしか自分を護る方法が見つからないからです。
毎日のように愚痴られ、なじられ、責任転嫁され、馬鹿にされるのです。やれやれ、中年であること、容貌や体型まで嘲笑されるのです。どんなに「私のせいではない」「私には時間が無い」「体力が無い」「参加したくない」「私の意見は異なる」「具合が悪い」などと訴えても、耳にも入れてもらえない。次の瞬間には癇癪に点火し手の付けられない暴風雨。駄目な奴はすぐキレますからねえ。
私はいつしか自信が失せ、精神が不安定になりました。絵も気力を失い「ただ描いただけ」の習作程度しかできず、書く文章は嘘ばかり。記憶まで途切れる始末。やがて不整脈が酷くなるとまもなく帯状疱疹になり、そして…。とうとう医者は私に、環境を変えるよう強く勧めました。できるだけ速やかに。もしその状態から自分の力で逃れられないのなら、法的保護を含め外部の力を借りることも。
でも私は「自分の力で戦ってみる」と言ったのです。戦わない者に幸せは掴めないと思うからです。ただし、一度膝をついた者が、そう簡単に立ち上がったり、剣をとれるものではなかったのです。
暴力被害とは、けして殴られたり蹴られたりすることばかりでは有りません。大声で怒鳴られることも、罵られることも、睨まれることも、凄まれることも、虐められることも、辱められることも、感性を蹂躙されることも、私物にあたられることも、無理強いされることも、反対意見を採用されないことも、正当性が認められないことも、謝ってもらえないことも、常識的な礼節を欠かれることも、しつこくされることも、嘘をつかれることも、無視されることも、それは全部暴力です。私が暴力と感じた時点で全てです。裁判だっておこせるし、慰謝料の請求だってできます。
話をややこしくしているのは、無自覚。つまり暴力を行う者がそれを少しも暴力だと思っていないことと、時にむしろ暴力の被害者は自分だ(自分がこうなったのは誰某のせいだ)と言ったりすること。そして暴力を受ける側が、すでに救助されることを諦め、時に自己批判し(私が悪いんです)、心を閉じて表面は笑って生きていることです。
まずは「辛い」と口に出すこと、それこそがとても大切な第一歩だそうです。そこまでで半分来たと言えるのだそうです。そしてしばらくの間、もし私が少々間違っていようが、羽目を外そうが、私が自分で「もういい」と言うまで、イエスマンを傍に置けたら一番いいのだそうです。
…あ、できたらイエスマンは美形がいいでーす(でしょー?笑)
ともかく、慌てて研究や制作や大きな家事に取りかからない事にしました。仕事も無理に受けたり行かないようにします。自分で自分に暴力をふるってはいけないものね。ただ、ぼんやりしているのは、もう嫌になっちゃった。かと言って、休んでいる間私は何をしたらいいのか、自分ではわからない。
今頃ですが(笑)、帯状疱疹の訳を書こうと思います。訳は「嫌」とちゃんと言えなかったことや、自己批判し過ぎたからだそうです。はい、お終い。すっとした。
ともかく、こうして書き出す事は、中身が多少間違っていようが勘違いだろうが、ともかくいい傾向なのだそうです。
残りのあれこれは----以下。まあ誰も読む必要もない、私の漫言方言備忘録です。
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私は「嫌」です。やっとそう言葉にできるようになりました。ようやく、です。そうです。ずうっと辛かったのです。悲しかったのです。嫌だったのです。不快だったのです。怒っていたのです。できないと言いたかったのです。
職場も私的な一部の人間関係も、暴力の中でした。でしたと言うのは正確ではない。何故なら今も私は、まだ半分近くその中にいるからです。私はそれらの暴力の前で心を閉じて暮らしています。ポーカーフェイスで口を合わせます。まだそれしか自分を護る方法が見つからないからです。
毎日のように愚痴られ、なじられ、責任転嫁され、馬鹿にされるのです。やれやれ、中年であること、容貌や体型まで嘲笑されるのです。どんなに「私のせいではない」「私には時間が無い」「体力が無い」「参加したくない」「私の意見は異なる」「具合が悪い」などと訴えても、耳にも入れてもらえない。次の瞬間には癇癪に点火し手の付けられない暴風雨。駄目な奴はすぐキレますからねえ。
私はいつしか自信が失せ、精神が不安定になりました。絵も気力を失い「ただ描いただけ」の習作程度しかできず、書く文章は嘘ばかり。記憶まで途切れる始末。やがて不整脈が酷くなるとまもなく帯状疱疹になり、そして…。とうとう医者は私に、環境を変えるよう強く勧めました。できるだけ速やかに。もしその状態から自分の力で逃れられないのなら、法的保護を含め外部の力を借りることも。
でも私は「自分の力で戦ってみる」と言ったのです。戦わない者に幸せは掴めないと思うからです。ただし、一度膝をついた者が、そう簡単に立ち上がったり、剣をとれるものではなかったのです。
暴力被害とは、けして殴られたり蹴られたりすることばかりでは有りません。大声で怒鳴られることも、罵られることも、睨まれることも、凄まれることも、虐められることも、辱められることも、感性を蹂躙されることも、私物にあたられることも、無理強いされることも、反対意見を採用されないことも、正当性が認められないことも、謝ってもらえないことも、常識的な礼節を欠かれることも、しつこくされることも、嘘をつかれることも、無視されることも、それは全部暴力です。私が暴力と感じた時点で全てです。裁判だっておこせるし、慰謝料の請求だってできます。
話をややこしくしているのは、無自覚。つまり暴力を行う者がそれを少しも暴力だと思っていないことと、時にむしろ暴力の被害者は自分だ(自分がこうなったのは誰某のせいだ)と言ったりすること。そして暴力を受ける側が、すでに救助されることを諦め、時に自己批判し(私が悪いんです)、心を閉じて表面は笑って生きていることです。
まずは「辛い」と口に出すこと、それこそがとても大切な第一歩だそうです。そこまでで半分来たと言えるのだそうです。そしてしばらくの間、もし私が少々間違っていようが、羽目を外そうが、私が自分で「もういい」と言うまで、イエスマンを傍に置けたら一番いいのだそうです。
…あ、できたらイエスマンは美形がいいでーす(でしょー?笑)
ともかく、慌てて研究や制作や大きな家事に取りかからない事にしました。仕事も無理に受けたり行かないようにします。自分で自分に暴力をふるってはいけないものね。ただ、ぼんやりしているのは、もう嫌になっちゃった。かと言って、休んでいる間私は何をしたらいいのか、自分ではわからない。
仕事の行帰り、物凄い濃霧で10m先が見えない。霧には馴れているはずの私も今日は肝を冷やしました。
結局殆ど雪の降らなかったこの冬は(家の回りもやっと10cm)、当然一度もダイヤモンドダストを見る事もなく、小学校の校庭に作るスケートリンクも数日もたず、諏訪湖ときたら御神渡りどころかまるで凍らず、白鳥もさっさと渡ってしまって、まあ何とも締まりのない、馬鹿みたいな冬でした。
私も3ヶ月近く、勉強も絵の制作もできず、ただ他人の用事や都合に振り回され疲弊しきっています。こんな自分にがっかりです。立春もとうに過ぎて、今年はもう自分本意にスケジュールを組もうと思います。別段八方美人でいるつもりも理由も無い。誰が困ろうが知ったことか。
ええ怒っていますとも。ある仕事先では、私が某カルトの勧誘から逃げたせいで仕事を干されつつあります。ある顧客からは、この2ヶ月間に何度も見積もりを伝えたのに、結局仕事を納めた途端から「不景気で当分払えない」と言われました。こんなのばかりです。今月中だったはずの入金はもう全て絶望的。何とか逃げられないようにしなければ。
結局殆ど雪の降らなかったこの冬は(家の回りもやっと10cm)、当然一度もダイヤモンドダストを見る事もなく、小学校の校庭に作るスケートリンクも数日もたず、諏訪湖ときたら御神渡りどころかまるで凍らず、白鳥もさっさと渡ってしまって、まあ何とも締まりのない、馬鹿みたいな冬でした。
私も3ヶ月近く、勉強も絵の制作もできず、ただ他人の用事や都合に振り回され疲弊しきっています。こんな自分にがっかりです。立春もとうに過ぎて、今年はもう自分本意にスケジュールを組もうと思います。別段八方美人でいるつもりも理由も無い。誰が困ろうが知ったことか。
ええ怒っていますとも。ある仕事先では、私が某カルトの勧誘から逃げたせいで仕事を干されつつあります。ある顧客からは、この2ヶ月間に何度も見積もりを伝えたのに、結局仕事を納めた途端から「不景気で当分払えない」と言われました。こんなのばかりです。今月中だったはずの入金はもう全て絶望的。何とか逃げられないようにしなければ。