日本画と手仕事と暮らしの覚え書き
- もう言わない。
- (2009/09/01)
- だめだ
- (2009/08/13)
- 体調はまあまあ
- (2009/08/10)
- 日記引っ越しだけどここも継続
- (2009/07/31)
- こんなこと書いてたり
- (2009/07/29)
私にはもう、インターネットを利用することが、だんだん無理になっていくみたいです。今夜も夜中に2時間以上かかって、あれこれ手段を講じ、やあっとインターネットに入ることが出来ました。秋に向けて方々のサイトの設定が変わり、昨日まで大丈夫だったサイトが、今日はもう正確に表示できなくなって来ました。
私のパソコンとブラウザが旧すぎるせいです。新しいの、欲しいなあ(Windowsは作業に余計な手間がかかるし、ウィルスの心配が有るからヤだな、と我が儘)。
このブログの管理ページも、Yahooも、まもなく使えなくなりそう(今だって、アクセスは奇跡的)。自立できるほど働く体力も(就業先も)無く、医療費の嵩む私には、パソコンの新調はすぐには困難なのですね〜。ま、がんばるけど。
いつか、まったく更新されなくなったら、その時はしばしご免なさ〜い。携帯から更新できるのは、先日に試して知っています。ただ、更新の回数も量も減るかも。この夏にひどく進んでしまった老眼には、携帯の画面が小さ過ぎ、文字を大きくしても判りづらく、とても疲れるのでした(やれやれ)。
総裁選挙のニュースを見ているこの数日は、私の幼少時の60年安保闘争から、新聞記者だった父が家でも原稿を書き続けていたこと、中学時代の70年安保にかけての悲惨な大学闘争、三島由紀夫の自決、浅間山荘事件など、思い出すことが何もかも重くて無惨で暗い。大阪万博ですら、あさましく後ろめたい気がする。私が大学に入り、京都の下宿に居た頃は、もうとっくに大学闘争は終結したことになっていたけれど、まだ傷だらけだった大学構内は、セクト残党による、左翼オルグ呼び掛けの貼紙だらけ。硝煙、怒号、骨の折れる音、血や小便の匂いが立ち篭めたことを想像させるに十分だった。学生街には、左翼残党狩りの私服刑事らがいつも張り番していたっけ。今だって、(そこに独特の字体がないのに)角材とヘルメットと顔を覆うタオルの組み合せをみると、どきりとすることがある。ブランドでキランキランの女子大生だったのに、その自分までが緊張する場面もたまに遭遇した。
私は右よりで保守だけれど、私は知っていることを聞かれて話さなかった。もし話したとしても、やはり後ろめたさ、今も背中に貼付く冷たさは変わらないのでしょう。
年齢を重ねること、身体が衰えることが、どう思い直して元気になろうとしても難しい。眠れぬ、重く悲しい夜です。
私のパソコンとブラウザが旧すぎるせいです。新しいの、欲しいなあ(Windowsは作業に余計な手間がかかるし、ウィルスの心配が有るからヤだな、と我が儘)。
このブログの管理ページも、Yahooも、まもなく使えなくなりそう(今だって、アクセスは奇跡的)。自立できるほど働く体力も(就業先も)無く、医療費の嵩む私には、パソコンの新調はすぐには困難なのですね〜。ま、がんばるけど。
いつか、まったく更新されなくなったら、その時はしばしご免なさ〜い。携帯から更新できるのは、先日に試して知っています。ただ、更新の回数も量も減るかも。この夏にひどく進んでしまった老眼には、携帯の画面が小さ過ぎ、文字を大きくしても判りづらく、とても疲れるのでした(やれやれ)。
総裁選挙のニュースを見ているこの数日は、私の幼少時の60年安保闘争から、新聞記者だった父が家でも原稿を書き続けていたこと、中学時代の70年安保にかけての悲惨な大学闘争、三島由紀夫の自決、浅間山荘事件など、思い出すことが何もかも重くて無惨で暗い。大阪万博ですら、あさましく後ろめたい気がする。私が大学に入り、京都の下宿に居た頃は、もうとっくに大学闘争は終結したことになっていたけれど、まだ傷だらけだった大学構内は、セクト残党による、左翼オルグ呼び掛けの貼紙だらけ。硝煙、怒号、骨の折れる音、血や小便の匂いが立ち篭めたことを想像させるに十分だった。学生街には、左翼残党狩りの私服刑事らがいつも張り番していたっけ。今だって、(そこに独特の字体がないのに)角材とヘルメットと顔を覆うタオルの組み合せをみると、どきりとすることがある。ブランドでキランキランの女子大生だったのに、その自分までが緊張する場面もたまに遭遇した。
私は右よりで保守だけれど、私は知っていることを聞かれて話さなかった。もし話したとしても、やはり後ろめたさ、今も背中に貼付く冷たさは変わらないのでしょう。
年齢を重ねること、身体が衰えることが、どう思い直して元気になろうとしても難しい。眠れぬ、重く悲しい夜です。
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