日本画と手仕事と暮らしの覚え書き
- もう言わない。
- (2009/09/01)
- だめだ
- (2009/08/13)
- 体調はまあまあ
- (2009/08/10)
- 日記引っ越しだけどここも継続
- (2009/07/31)
- こんなこと書いてたり
- (2009/07/29)
昨夜、機龍が、残っていた荷物の全てをプラドに積み、東京のアパートを引き払って来ました。その荷物の量たるや私の想像の5倍は有り(半分以上が未開封のプラモデルの箱><)…もはや部屋にも入らず、すべて玄関に山積み。出入りも困難です。
これはあとひと山でなくって、あと5山は有るわ。もぉ笑うしかニャイ…ぢゃあなくって、「笑おう!」でしょ?アタクシ。
笑おう!笑おう!笑おう!
踊ろう!踊ろう!踊ろう!
不満顔をしていたら、イカン。追い詰められた気分で居たらもっとイカン。さ、ホイホイ踊って硬い身体をほぐすのよ。さ、どんどん片付けよう。機龍の八ヶ岳の家での居住は1、2年の予定だけど、機龍はその間にいろいろな物事の取捨選択をし、親や周囲や私も含めての雑音を振払ってよく考え、新しい人生のため旧い人生に方をつけるがイイノダ。そうすべきナノダ。
「隠り(疑似妊娠とも言えるナ)」を繰り返し、何度も何度も新しく再生誕生すればイイノダ。
とにもかくにも、母と叔母からの荷物、特に機龍の大量の荷物が全部片付くためには、最低でも4月いっぱいかかりそうです。でも、もし今月中に片付かなかったもの、収納できなかったもの、送るべき所に送れなかったものは、私の旧いパソコンも含め、どんなに大切なものでもきっぱり捨てます。
これはあとひと山でなくって、あと5山は有るわ。もぉ笑うしかニャイ…ぢゃあなくって、「笑おう!」でしょ?アタクシ。
笑おう!笑おう!笑おう!
踊ろう!踊ろう!踊ろう!
不満顔をしていたら、イカン。追い詰められた気分で居たらもっとイカン。さ、ホイホイ踊って硬い身体をほぐすのよ。さ、どんどん片付けよう。機龍の八ヶ岳の家での居住は1、2年の予定だけど、機龍はその間にいろいろな物事の取捨選択をし、親や周囲や私も含めての雑音を振払ってよく考え、新しい人生のため旧い人生に方をつけるがイイノダ。そうすべきナノダ。
「隠り(疑似妊娠とも言えるナ)」を繰り返し、何度も何度も新しく再生誕生すればイイノダ。
とにもかくにも、母と叔母からの荷物、特に機龍の大量の荷物が全部片付くためには、最低でも4月いっぱいかかりそうです。でも、もし今月中に片付かなかったもの、収納できなかったもの、送るべき所に送れなかったものは、私の旧いパソコンも含め、どんなに大切なものでもきっぱり捨てます。
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昨夜は物凄い雨でした。下の町では桜が2、3分咲です。
一昨日はついに「キバラシダ!」とばかり、二人で甲府まで映画「クローバーフィールド」(怖かっタ…)を見に行ってしまいました。行帰りの中央道沿いはいずこも桃と桜が満開で、それはそれで楽しかったのです。しかし、後がいけなかった。昨日は機龍が倒れて仕事を休み、今日は私がフラフラになりました。双方とも疲れがたまっているのは明白です。でもまだのんびりしてはいられない。片づけは双方共に細かい部分が残って(本棚にどの本を並べるかとか、箪笥の引出しにどれを仕舞うかとか)、でも各々仕事だ用事だと家にすら居らず、なあんにも手が付けられずにいます。加えて明日は機龍がひとりで上京します。残った荷物と掃除をして、借りていた部屋を引き払ってきます。無事に引き上げて来られますように。
ふうぅ、片付け。あとひと山?ふた山? 一区切りしたら、日帰り温泉でも行きたいと言い合っています。
一昨日はついに「キバラシダ!」とばかり、二人で甲府まで映画「クローバーフィールド」(怖かっタ…)を見に行ってしまいました。行帰りの中央道沿いはいずこも桃と桜が満開で、それはそれで楽しかったのです。しかし、後がいけなかった。昨日は機龍が倒れて仕事を休み、今日は私がフラフラになりました。双方とも疲れがたまっているのは明白です。でもまだのんびりしてはいられない。片づけは双方共に細かい部分が残って(本棚にどの本を並べるかとか、箪笥の引出しにどれを仕舞うかとか)、でも各々仕事だ用事だと家にすら居らず、なあんにも手が付けられずにいます。加えて明日は機龍がひとりで上京します。残った荷物と掃除をして、借りていた部屋を引き払ってきます。無事に引き上げて来られますように。
ふうぅ、片付け。あとひと山?ふた山? 一区切りしたら、日帰り温泉でも行きたいと言い合っています。
母から持ち込まれた叔母の不要品、機龍の転居の荷物の大半は、結局私たったひとりによる3週間近い奮闘で、何とか片付いてきました。
その前にまず不満を述べよう(怒)。
何につけても天候が定まる日が1日も無いのがイカン。3月も酷かったけれど、4月に入っても大雪や豪雨や突風に祟られてばかりで、とてもとても難儀をしています。無風と少雨と少雪の、カラリと爽やかな八ヶ岳南西山麓なんて、もはや昔語り。高原らしい気候はこの数年ほとんど体験できません。近所でも嘆きの声しきり。この傾向は年々酷くなっています。地球温暖化のせいなのは言うまでもありません。
加えて愚痴を記録するか(笑)。
まず、機龍の衣類の始末が大変でした。あ、彼の名誉のために言えば、毎日きちんと洗濯する人で、けして不潔にしていた訳ではありません。しかしながら彼の衣類は全部、東京の悪い水による洗濯のせいで、風合いも汚れ落ちも微妙…な具合。部屋干しオンリーなので下宿特有の臭いも。結局全部洗い直さなければ、我家にはとても収納などできず、この2週間は、雪と雨と風の中、毎日10時間以上、洗濯機や乾燥機を回し続けました(アイロンは諦めました)。
着るものは、八ヶ岳の軟水と、軟水のせいでようく泡立ってくれる石鹸で、ふうわりさっぱりとさせねば気が済まない。
あとゴジラやメカゴジラなどのフィギュアの掃除と片付けも4日間要しました。機龍の東京での最後の1年ほどは、激務で寝るのが精一杯。趣味の手入れなどさっぱりできず、埃だらけになってしまったのです。
フィギュアはミニチュアを除いても、全部で70余体。これらを一点ずつ、掃除機やブラシで埃を取り、次に外干しして臭いを取りました。雨混じりの日ばかりだったけれど、晴天が1日も無いのだから仕方がない。
それからクリスタル何とかと言う透明袋に入れて、口もとを結束バンドで縛り、種類別に分けるとゴミ袋なら4袋分になりました。ああ、いくらウチに納戸が有るからって、もういっぱい、入りませんよ。もう買ってはイケマセン!
生活用品や寝具などの始末にもせいぜい時間がかかりました。棚や衣類ケース、パソコン、本やDVDなどは、埃を拭いつつ客用寝室だった部屋に運び入れました。が、運び入れたそのまま手つかずです。運び切れないものは、未だに薪ストーブの周囲をぐるりと取り囲んでいます。私にも仕事が有り、機龍も休みが取れない。夜はもうぐったりでお互い口も聞けない。やっとの休日も機龍は東京の用事続きで潰れ、そのために、ああ、方々埃が…埃なんて!我家にはついぞなかったのに…泣。
そうやって、私の手指は、もはや指紋なぞ見えぬボロボロ具合。生涯で一番荒れた手の平をしています。顔を洗うと、顔に擦過傷がつきヒリヒリします。背中も腰も重い痛い。
他人のことばかりに追われて、私の寝室やクローゼット、パソコン机周辺が今やたいへんなことに。もう3週間も物置き状態です。今度はこれをやらなければ。1週間はかかりそう。予定では4月の初めにはもう勉強や制作に戻れるはずでした。そんなのまだまだ夢のまた夢。
ああ、モノが多すぎる。もはやもったいながっていては、モノに潰されます。リサイクルリフォームリユースと言うけれど、それにはそれなりのヒマと体力と気力がうんとかかるのよ。
捨てるべきものは捨て、新たに買うことは当面禁止です。
…次の休みの日は片づけなんてしたくなーい。どこかちょっとでいいから遠出したーい。庭にはカタクリがやっと蕾を見せたことですし。
その前にまず不満を述べよう(怒)。
何につけても天候が定まる日が1日も無いのがイカン。3月も酷かったけれど、4月に入っても大雪や豪雨や突風に祟られてばかりで、とてもとても難儀をしています。無風と少雨と少雪の、カラリと爽やかな八ヶ岳南西山麓なんて、もはや昔語り。高原らしい気候はこの数年ほとんど体験できません。近所でも嘆きの声しきり。この傾向は年々酷くなっています。地球温暖化のせいなのは言うまでもありません。
加えて愚痴を記録するか(笑)。
まず、機龍の衣類の始末が大変でした。あ、彼の名誉のために言えば、毎日きちんと洗濯する人で、けして不潔にしていた訳ではありません。しかしながら彼の衣類は全部、東京の悪い水による洗濯のせいで、風合いも汚れ落ちも微妙…な具合。部屋干しオンリーなので下宿特有の臭いも。結局全部洗い直さなければ、我家にはとても収納などできず、この2週間は、雪と雨と風の中、毎日10時間以上、洗濯機や乾燥機を回し続けました(アイロンは諦めました)。
着るものは、八ヶ岳の軟水と、軟水のせいでようく泡立ってくれる石鹸で、ふうわりさっぱりとさせねば気が済まない。
あとゴジラやメカゴジラなどのフィギュアの掃除と片付けも4日間要しました。機龍の東京での最後の1年ほどは、激務で寝るのが精一杯。趣味の手入れなどさっぱりできず、埃だらけになってしまったのです。
フィギュアはミニチュアを除いても、全部で70余体。これらを一点ずつ、掃除機やブラシで埃を取り、次に外干しして臭いを取りました。雨混じりの日ばかりだったけれど、晴天が1日も無いのだから仕方がない。
それからクリスタル何とかと言う透明袋に入れて、口もとを結束バンドで縛り、種類別に分けるとゴミ袋なら4袋分になりました。ああ、いくらウチに納戸が有るからって、もういっぱい、入りませんよ。もう買ってはイケマセン!
生活用品や寝具などの始末にもせいぜい時間がかかりました。棚や衣類ケース、パソコン、本やDVDなどは、埃を拭いつつ客用寝室だった部屋に運び入れました。が、運び入れたそのまま手つかずです。運び切れないものは、未だに薪ストーブの周囲をぐるりと取り囲んでいます。私にも仕事が有り、機龍も休みが取れない。夜はもうぐったりでお互い口も聞けない。やっとの休日も機龍は東京の用事続きで潰れ、そのために、ああ、方々埃が…埃なんて!我家にはついぞなかったのに…泣。
そうやって、私の手指は、もはや指紋なぞ見えぬボロボロ具合。生涯で一番荒れた手の平をしています。顔を洗うと、顔に擦過傷がつきヒリヒリします。背中も腰も重い痛い。
他人のことばかりに追われて、私の寝室やクローゼット、パソコン机周辺が今やたいへんなことに。もう3週間も物置き状態です。今度はこれをやらなければ。1週間はかかりそう。予定では4月の初めにはもう勉強や制作に戻れるはずでした。そんなのまだまだ夢のまた夢。
ああ、モノが多すぎる。もはやもったいながっていては、モノに潰されます。リサイクルリフォームリユースと言うけれど、それにはそれなりのヒマと体力と気力がうんとかかるのよ。
捨てるべきものは捨て、新たに買うことは当面禁止です。
…次の休みの日は片づけなんてしたくなーい。どこかちょっとでいいから遠出したーい。庭にはカタクリがやっと蕾を見せたことですし。
昨日朝、火曜の昼に病猫がとうとう逝ったと、飼い主夫人が伝えに来ました。思わず手を取り合って互いに涙ぐみました。
彼の生きたことを少し文にしておこうと。
私からの呼び名は「フタ(2色なので)」、今の飼い主(我家から数十mの家の方です)は「ママちゃん」と呼んでいました。白と黒の牡猫で尻尾が長く、姿はそれは美しかった。たぶん私の家とその人の家の中間にある別荘の床下で、彼はこれも賢く愛想よく美しかった三毛猫ミケちゃんから、他の2匹の兄妹(白と茶虎の牡チャア、鼈甲三毛の牝ベコ)と共に生まれました。初めて子猫の姿を見たのがたしか1993年春。
頭はなにしろ抜群に良かった。穏やかな気質で愛想だって良いけれど、誰がどう餌付けしても絶対に家には上がらない。親や他の兄妹が逝って独りぼっちになっても、誰のものにもならない。大雪で1週間以上も(おそらく何処かの別荘の床下に)閉じ込められようが、雪を舐めて必ず生き抜いて、そのうち餌を貰いに誰かの家を訪ねる、そういう猫でした。
かつてウチでの好物は小アジ(唸って食べていましたね)。以前の愛犬、ラブラドールレトリーバーのマユが老いた頃、とぼとぼゆっくりの歩みの散歩に、チャアちゃんと同行することも度々でした。でもチャアちゃんの姿が見えなくなり、マユが逝き、やがて私が手術などで東京住まいになる頃には、今の飼い主夫婦から餌をもらうなど世話を受けるようになり、その後は我家の新しい犬のNIKOや猫達にも遠慮してか、私の家にはめったに来なくなっていました。
フタちゃんや、もう少し早く誰かのものになっていたら、皮膚癌で死なずに済んだと思うのですよ。耳先が白い毛の猫は其処から皮膚癌になりやすいのです。去年ウチで死んだ金太朗も耳先が白く、すぐ紫外線にやられて耳先が赤く縮れたものです。でも、飼い猫なら獣医師の指示で、日焼止めクリームの塗布などで予防ができました。酷くならない内に、手術だってできたと思うのです。
でもフタちゃんにはさすがにそこまではわからなかった。一昨年頃には、左頭部はもう症状が進行してどうにも手が付けられませんでした。痩せ衰えて膿と出血で酷い状態でした。そしてとうとうフタちゃんは、先の飼い主の元に身を寄せました。つまり誰かのものになったのです。私も飼い主となった夫婦も驚きましたが、たとえそうなっても「生き抜く」ことを選んだのだと私達は思っています。そんなフタちゃんに、私達はしみじみと感銘を受けるのです。
最後の頃、右目は見えていましたが、左耳、左目と潰れ、顔は半分膿んでいました。それでも私の家にやってきた先週末には、かつての美しさを忍ばせるに十分な緑のかった右目を大きく見開いて、私の動向を伺っていました。長い時間かけて水を飲んでいた姿が最後。午後3時には飼い主夫婦が迎えに来ては、大きなタオルで赤ちゃんのように大事に包んで、抱いて連れ帰っていました。
そんなになっても毎日、ええ、死の前日まで歯の無い口で餌をたくさん食べていたそうです。フタちゃんは1分1秒でも生き抜こうとしていたのです。飼い主夫婦はそれは渾身の看病でした。この1年ほどは安楽死を考えつつも、毎日頑張って餌を食べようとする姿に、最後まで看取ろうと決心したのだそうです。最後の日の前夜、それまではそんなこと一度もしたこと無かったのが、初めて夫婦の寝室の枕もとに来てニャアと鳴き、そこから昏睡となったそうです。
享年15。生き抜いた。素晴らしい姿を見せてくれました。
大好きと言わせてくれてありがとう。世話をさせてくれてありがとう。ありがとう。合掌。
彼の生きたことを少し文にしておこうと。
私からの呼び名は「フタ(2色なので)」、今の飼い主(我家から数十mの家の方です)は「ママちゃん」と呼んでいました。白と黒の牡猫で尻尾が長く、姿はそれは美しかった。たぶん私の家とその人の家の中間にある別荘の床下で、彼はこれも賢く愛想よく美しかった三毛猫ミケちゃんから、他の2匹の兄妹(白と茶虎の牡チャア、鼈甲三毛の牝ベコ)と共に生まれました。初めて子猫の姿を見たのがたしか1993年春。
頭はなにしろ抜群に良かった。穏やかな気質で愛想だって良いけれど、誰がどう餌付けしても絶対に家には上がらない。親や他の兄妹が逝って独りぼっちになっても、誰のものにもならない。大雪で1週間以上も(おそらく何処かの別荘の床下に)閉じ込められようが、雪を舐めて必ず生き抜いて、そのうち餌を貰いに誰かの家を訪ねる、そういう猫でした。
かつてウチでの好物は小アジ(唸って食べていましたね)。以前の愛犬、ラブラドールレトリーバーのマユが老いた頃、とぼとぼゆっくりの歩みの散歩に、チャアちゃんと同行することも度々でした。でもチャアちゃんの姿が見えなくなり、マユが逝き、やがて私が手術などで東京住まいになる頃には、今の飼い主夫婦から餌をもらうなど世話を受けるようになり、その後は我家の新しい犬のNIKOや猫達にも遠慮してか、私の家にはめったに来なくなっていました。
フタちゃんや、もう少し早く誰かのものになっていたら、皮膚癌で死なずに済んだと思うのですよ。耳先が白い毛の猫は其処から皮膚癌になりやすいのです。去年ウチで死んだ金太朗も耳先が白く、すぐ紫外線にやられて耳先が赤く縮れたものです。でも、飼い猫なら獣医師の指示で、日焼止めクリームの塗布などで予防ができました。酷くならない内に、手術だってできたと思うのです。
でもフタちゃんにはさすがにそこまではわからなかった。一昨年頃には、左頭部はもう症状が進行してどうにも手が付けられませんでした。痩せ衰えて膿と出血で酷い状態でした。そしてとうとうフタちゃんは、先の飼い主の元に身を寄せました。つまり誰かのものになったのです。私も飼い主となった夫婦も驚きましたが、たとえそうなっても「生き抜く」ことを選んだのだと私達は思っています。そんなフタちゃんに、私達はしみじみと感銘を受けるのです。
最後の頃、右目は見えていましたが、左耳、左目と潰れ、顔は半分膿んでいました。それでも私の家にやってきた先週末には、かつての美しさを忍ばせるに十分な緑のかった右目を大きく見開いて、私の動向を伺っていました。長い時間かけて水を飲んでいた姿が最後。午後3時には飼い主夫婦が迎えに来ては、大きなタオルで赤ちゃんのように大事に包んで、抱いて連れ帰っていました。
そんなになっても毎日、ええ、死の前日まで歯の無い口で餌をたくさん食べていたそうです。フタちゃんは1分1秒でも生き抜こうとしていたのです。飼い主夫婦はそれは渾身の看病でした。この1年ほどは安楽死を考えつつも、毎日頑張って餌を食べようとする姿に、最後まで看取ろうと決心したのだそうです。最後の日の前夜、それまではそんなこと一度もしたこと無かったのが、初めて夫婦の寝室の枕もとに来てニャアと鳴き、そこから昏睡となったそうです。
享年15。生き抜いた。素晴らしい姿を見せてくれました。
大好きと言わせてくれてありがとう。世話をさせてくれてありがとう。ありがとう。合掌。
まだまだ転居と模様替えの後始末。幾つか他の仕事や用事をしながらなので、なかなか進まないのです。でも、やっと床が見えてきました。もうルンルンでクリーナーをかけます。なんとなく、犬や猫の足取りもルンルン軽やかになったような。
ふう、手荒れが酷い。機龍は昼間は仕事で、片づけにはほとんど私しか当たれない。あと2、3日は十分にかかります。さらに今週末には、また少しだけど東京からの荷物が運び込まれる予定。がんばるぞ。がんばるしかない。
またいつか書こうと思うのですが、一昨日昨日と天気が良かったでしょう。それでか、15才になるだろう病猫(もと野良。現在は近所の篤志家夫婦にそれは大切に保護されている)が、1年ぶりくらいに私を訪ねてきました。昔、まだ子猫だった頃からよく餌をやっていたのです。本当なら歩けないほどの病状です。それが2度も顔を見せに来たのは、おそらく死期を悟ったのではないか、逝く前に懐かしいところを見ておこうとしているのではないか、などと皆で話しています。
ふう、手荒れが酷い。機龍は昼間は仕事で、片づけにはほとんど私しか当たれない。あと2、3日は十分にかかります。さらに今週末には、また少しだけど東京からの荷物が運び込まれる予定。がんばるぞ。がんばるしかない。
またいつか書こうと思うのですが、一昨日昨日と天気が良かったでしょう。それでか、15才になるだろう病猫(もと野良。現在は近所の篤志家夫婦にそれは大切に保護されている)が、1年ぶりくらいに私を訪ねてきました。昔、まだ子猫だった頃からよく餌をやっていたのです。本当なら歩けないほどの病状です。それが2度も顔を見せに来たのは、おそらく死期を悟ったのではないか、逝く前に懐かしいところを見ておこうとしているのではないか、などと皆で話しています。