日本画と手仕事と暮らしの覚え書き
- もう言わない。
- (2009/09/01)
- だめだ
- (2009/08/13)
- 体調はまあまあ
- (2009/08/10)
- 日記引っ越しだけどここも継続
- (2009/07/31)
- こんなこと書いてたり
- (2009/07/29)
自分だけが苦しんでいると思っていないか。私も自問自答しているところ。
確かに自分の苦しみなんて、他人にわかるはずもない。わかってもらいたくとも、訴えたところで、結局裏切られたと思うが関の山。ああ一人にしてくれい。
一方周囲は、苦しみを思い遣ろうとしても、ただ想像するしかない。何か力になれないものか、好物を並べようか、ああ、何か何か。でも結局何もできない。
苦しい時は自分だけで精一杯だもの。自分以外の人の心中なぞ、なかなか気が付かないもの。やっと気が回ったところで、ほっといてくれ!でしょう。情けないやら不満やらで、自分への思いやりも心配もうっとうしくてしょうがない。そして却ってアダする言動を取って、周囲をさらに苦しめる。殻に閉じこもっても周囲にあたっても、どちらにしても自分も疲れ果て、もし幸せそうな人なんか見たら、嫌みの一つどころか呪ってやりたくなる。
そんなことをしてれば、苦悶のスパイラルでしょう。自分の怒気がまるで跳ね返ったかのごとく自分が痛い。ますます苦しみ、心身の力を無くしていく。
自分が嫌な苦しい顔をしていれば、家族も周囲も心配で苦しみ、暗くなるでしょう。私も昔日、ようやく掴んだチャンスを前に、運悪く日本画を制作する場所も仕事も無くしたことがある。実家に身を寄せた私はもうノイローゼ(傍から見たら、ただただ甘えでしょう)。朝も夜も判らぬまま泣き暮らし、時に暴れて、さんざん家族に心配と迷惑を…。
私の場合、私が本当にしなければならなかったこと、相応しい態度、口にすべき言葉は他に有った。自分しか見えていなかった。気が付いた時は遅過ぎました(お父さん、ありがとう。ごめんなさい。お母さんと弟には未だ間に合うか、ありがとう、ごめんなさい)。
新しい道はいつでも自分の傍に有った。それをわざわざ見ないようにし、足で砂をかけ隠していたのは自分でした。
そう、今は判るのに。
でもでも、これは人に言ってもらっても解らない。人に言われても不快に思い、冷たく罵って退けてしまうもの。
苦しむ時はやっぱり苦しむ。思い遣り心配するも、届かないものは届かない。それに腹を立てても立てられてもしょうがない。
確かに自分の苦しみなんて、他人にわかるはずもない。わかってもらいたくとも、訴えたところで、結局裏切られたと思うが関の山。ああ一人にしてくれい。
一方周囲は、苦しみを思い遣ろうとしても、ただ想像するしかない。何か力になれないものか、好物を並べようか、ああ、何か何か。でも結局何もできない。
苦しい時は自分だけで精一杯だもの。自分以外の人の心中なぞ、なかなか気が付かないもの。やっと気が回ったところで、ほっといてくれ!でしょう。情けないやら不満やらで、自分への思いやりも心配もうっとうしくてしょうがない。そして却ってアダする言動を取って、周囲をさらに苦しめる。殻に閉じこもっても周囲にあたっても、どちらにしても自分も疲れ果て、もし幸せそうな人なんか見たら、嫌みの一つどころか呪ってやりたくなる。
そんなことをしてれば、苦悶のスパイラルでしょう。自分の怒気がまるで跳ね返ったかのごとく自分が痛い。ますます苦しみ、心身の力を無くしていく。
自分が嫌な苦しい顔をしていれば、家族も周囲も心配で苦しみ、暗くなるでしょう。私も昔日、ようやく掴んだチャンスを前に、運悪く日本画を制作する場所も仕事も無くしたことがある。実家に身を寄せた私はもうノイローゼ(傍から見たら、ただただ甘えでしょう)。朝も夜も判らぬまま泣き暮らし、時に暴れて、さんざん家族に心配と迷惑を…。
私の場合、私が本当にしなければならなかったこと、相応しい態度、口にすべき言葉は他に有った。自分しか見えていなかった。気が付いた時は遅過ぎました(お父さん、ありがとう。ごめんなさい。お母さんと弟には未だ間に合うか、ありがとう、ごめんなさい)。
新しい道はいつでも自分の傍に有った。それをわざわざ見ないようにし、足で砂をかけ隠していたのは自分でした。
そう、今は判るのに。
でもでも、これは人に言ってもらっても解らない。人に言われても不快に思い、冷たく罵って退けてしまうもの。
苦しむ時はやっぱり苦しむ。思い遣り心配するも、届かないものは届かない。それに腹を立てても立てられてもしょうがない。
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この数日で、唐松が金色になりました。白樺や大きな葉の広葉樹など、もうざあざあと落葉しています。その音に、え?雨?と振り返ってしまう私。
昨日今日と雨模様でした。お洗濯には困るけれど、実は紅葉には恵みの雨だそうです。これで枯れ枯れしくならず紅葉の色を保ち、空気も洗われて、しっとり鮮やかに美しく見えるのだとか。明日から少し晴れ間も戻るようなので、紅葉の水滴が陽光にキラキラしている様など、さぞ美しいでしょうね。
生きていると、苦しいこと悲しいことが絶えまない。だから、私よ、何が有っても美しいものに心が向くよう、それを忘れないよう、捨ててしまわないよう。
昨日今日と雨模様でした。お洗濯には困るけれど、実は紅葉には恵みの雨だそうです。これで枯れ枯れしくならず紅葉の色を保ち、空気も洗われて、しっとり鮮やかに美しく見えるのだとか。明日から少し晴れ間も戻るようなので、紅葉の水滴が陽光にキラキラしている様など、さぞ美しいでしょうね。
生きていると、苦しいこと悲しいことが絶えまない。だから、私よ、何が有っても美しいものに心が向くよう、それを忘れないよう、捨ててしまわないよう。
秋深し。日ざしが弱く午後は曇りがち。昼間はともかく、夜は冷えます。
一昨日はおかげさまで甲府に映画を観に行けました。「宮廷画家ゴヤは見た」。とても印象に残りました。ヒロインの可憐なイネスが過酷な状況に置かれて叫ぶシーンが有ります。「真実とは何?」。人を愛することとはどういうことか。そして信念を貫くこととは。
それから、ゴヤの作品のこと。スペインでなく、パリで見たあの作品群には各々このような時代背景があったのですね。
昨日はカメムシが一段と増えて、洗濯物を外に干せませんでした。まあ仕方が無い。今の処は例年よりも虫の数は少ないようです。まだ気温が高めだからかしら。
今日はこれから英語サークルに行く予定。忙しく方々飛び回る。お天気がもってくれないかな。夕方からの仕事が、普段よりも30分早めに始まるのでした。おお、遅れないようにしないと。
一昨日はおかげさまで甲府に映画を観に行けました。「宮廷画家ゴヤは見た」。とても印象に残りました。ヒロインの可憐なイネスが過酷な状況に置かれて叫ぶシーンが有ります。「真実とは何?」。人を愛することとはどういうことか。そして信念を貫くこととは。
それから、ゴヤの作品のこと。スペインでなく、パリで見たあの作品群には各々このような時代背景があったのですね。
昨日はカメムシが一段と増えて、洗濯物を外に干せませんでした。まあ仕方が無い。今の処は例年よりも虫の数は少ないようです。まだ気温が高めだからかしら。
今日はこれから英語サークルに行く予定。忙しく方々飛び回る。お天気がもってくれないかな。夕方からの仕事が、普段よりも30分早めに始まるのでした。おお、遅れないようにしないと。
一昨日は午前中に、掃除洗濯お弁当づくりや夕食の支度までの、全ての家事を終わらせ、午後に茅野市美術館へ。友人と待ち合わせて、「立川義明展—卒寿・彫刻の道」を拝見しました。知人彫刻家によるギャラリー・トークも拝聴。
昨日は体調が今一つ。このところ疲労と冷えでしゃっきりしないのは、風邪気味ですから。午前中に夕食(ビーフカレー)の支度も済ませて、午後は研究本に没頭。五行の配当表を眺めつつ、わからぬ言葉を調べたり。
例えば「五虫」。元々の字は「五蟲」。虫は「まむし(蛇)」の象形文字で、それらがうじゃうじゃ集まったもの。古代中国では「蟲」は昆虫だけでなく、動物の総称です。以下分類。
鱗虫(蛟竜を長とする龍蛇、は虫類、魚類など鱗の有るもの)、
羽虫(鳳凰を長とする鳥類、羽の有るもの)、
裸虫(聖人を長とする人間。羽毛の無いもの)、
毛虫(麒麟を長とするほ乳類、毛の有るもの)、
甲虫(介虫とも言う。神亀を長とする両生類、貝類、甲殻類など甲羅甲殻の有るもの)
夕方から仕事。
今日は私達は双方とも休み。夕方から甲府に映画を観に行きたいのです。でも二人とも風邪気味で疲労もどっぷり。行けますように。
明日は、ああ、明日なんて。私はいったい毎日何をしているのでしょう。びゅんびゅん日月が過ぎていくような。あっと言う間に十月も下旬です。周辺の山谷の紅葉は盛りのようす。
昨日は体調が今一つ。このところ疲労と冷えでしゃっきりしないのは、風邪気味ですから。午前中に夕食(ビーフカレー)の支度も済ませて、午後は研究本に没頭。五行の配当表を眺めつつ、わからぬ言葉を調べたり。
例えば「五虫」。元々の字は「五蟲」。虫は「まむし(蛇)」の象形文字で、それらがうじゃうじゃ集まったもの。古代中国では「蟲」は昆虫だけでなく、動物の総称です。以下分類。
鱗虫(蛟竜を長とする龍蛇、は虫類、魚類など鱗の有るもの)、
羽虫(鳳凰を長とする鳥類、羽の有るもの)、
裸虫(聖人を長とする人間。羽毛の無いもの)、
毛虫(麒麟を長とするほ乳類、毛の有るもの)、
甲虫(介虫とも言う。神亀を長とする両生類、貝類、甲殻類など甲羅甲殻の有るもの)
夕方から仕事。
今日は私達は双方とも休み。夕方から甲府に映画を観に行きたいのです。でも二人とも風邪気味で疲労もどっぷり。行けますように。
明日は、ああ、明日なんて。私はいったい毎日何をしているのでしょう。びゅんびゅん日月が過ぎていくような。あっと言う間に十月も下旬です。周辺の山谷の紅葉は盛りのようす。
ミクシイで拝読している日記の一つに、 カッツァニーガの個展が紹介されていました。それこそバロック!!な宝飾品の展覧会です。
ああ、バロック、大好き。いいなあ。本当に楽しくて素敵な意匠ですよ。こういうのを拝見すると、お腹の底から嬉しくなってしまいます。
想像の翼が頭から背中からお腹から、もういっぱい出てきそう。髪が豊かに燃え盛り、声だって七色に出せそうです。
現実には、古臭いボロ以外に身を包むものを持っていない私、色だって灰色やベージュや黒など地味で、形も素材もまことにシンプル。どれもこれも生命が感じられない(まあ確かに無機物だったり)。お金は、全部ローン返済と絵具と研究本に回ってしまって、なかなか身の回りまで届きません。無いと言えば時間も体力も余裕が無い。ああ総じて遊びが無い。そんなわけで普段は、化粧も衣服も暮らしぶりまで何もかも超シンプルです。
でも、ほんとのこと言えば、「シンプルなんか大嫌い〜!」ですよ。何がシンプルイズベストだ〜!
だって、つまんない。あんなもの、私にしたら怠慢怠惰、死んだも同然。生きる意欲が脳硬塞になっしまったのと一緒です。頭の中までシンプルになって無気力になっていきそうで、恐ろしい。
だから足掻かなくては!必死に足掻かなくては!人に何を言われようが、今が何の季節だろうが、かわまんのです。自分の思う存分色と素材を駆使し、視覚に入るすべてを飾って飾りたてるのが最高じゃあないかと。本人が楽しくて嬉しくて幸せであるのなら、そうやって人生を一瞬一瞬美しく遊び生きたいと思うのです。
ンなことを言っても、実際実行した事と言えば、普段のシャツを唐草の柄物にしただけですが。
一歩外へ踏み出せば、ほうら!山も紅葉の盛り、満艦飾へあと少し。ラピスラズリの空と真珠の秋露と、輝く宝石のような紅葉や木の実に、金銀の枝。秋の山はバロックそのもの。自然こそ人の心の素晴らしいお手本。
ああ、バロック、大好き。いいなあ。本当に楽しくて素敵な意匠ですよ。こういうのを拝見すると、お腹の底から嬉しくなってしまいます。
想像の翼が頭から背中からお腹から、もういっぱい出てきそう。髪が豊かに燃え盛り、声だって七色に出せそうです。
現実には、古臭いボロ以外に身を包むものを持っていない私、色だって灰色やベージュや黒など地味で、形も素材もまことにシンプル。どれもこれも生命が感じられない(まあ確かに無機物だったり)。お金は、全部ローン返済と絵具と研究本に回ってしまって、なかなか身の回りまで届きません。無いと言えば時間も体力も余裕が無い。ああ総じて遊びが無い。そんなわけで普段は、化粧も衣服も暮らしぶりまで何もかも超シンプルです。
でも、ほんとのこと言えば、「シンプルなんか大嫌い〜!」ですよ。何がシンプルイズベストだ〜!
だって、つまんない。あんなもの、私にしたら怠慢怠惰、死んだも同然。生きる意欲が脳硬塞になっしまったのと一緒です。頭の中までシンプルになって無気力になっていきそうで、恐ろしい。
だから足掻かなくては!必死に足掻かなくては!人に何を言われようが、今が何の季節だろうが、かわまんのです。自分の思う存分色と素材を駆使し、視覚に入るすべてを飾って飾りたてるのが最高じゃあないかと。本人が楽しくて嬉しくて幸せであるのなら、そうやって人生を一瞬一瞬美しく遊び生きたいと思うのです。
ンなことを言っても、実際実行した事と言えば、普段のシャツを唐草の柄物にしただけですが。
一歩外へ踏み出せば、ほうら!山も紅葉の盛り、満艦飾へあと少し。ラピスラズリの空と真珠の秋露と、輝く宝石のような紅葉や木の実に、金銀の枝。秋の山はバロックそのもの。自然こそ人の心の素晴らしいお手本。